田中森一人気が沸騰している。『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)は、25万部を突破、ノンフィクションとしては異例の売れ行きを誇っている。
「何とか、この人を助けて欲しい、という手紙が出版社に届いています」という田中弁護士の“自賛”はともかく、経済事件に関心のない層にまで「悪漢小説」のように読まれているのは確かで、酒場の話題となることも少なくない。
戦後すぐの日本にはあった極貧、司法試験を目指し合格する高揚、検事時代の峻烈な取り調べと挫折、弁護士への転出と闇世界の住人とのつきあい、そして刑事被告人への転落……こんな波乱万丈の人生は誰にでも送れるものではないし、それを「特捜検事」が告白しているのだから、面白くないわけがない。
したがってベストセラーになるのは当然ながら、それをマスコミが手放しで礼賛していいものだろうか。
まず、マスコミに欠けているのは、『反転』が小説ではなく事実として書かれていることへの検証と批判である。
許永中被告への心情的な思い入れはともかく、企業に入り込むと、天才的な弁舌と籠絡のテクニックで経営者をとりこにし、資産を収奪した後は企業を廃墟にしてしまうという「許の手法」は認められるものではない。
「私は事件には関与していない」と、無罪を主張する田中弁護士だが、イトマン事件で許被告の側にいて、その手法がしょせん事件屋のものであり、時に暴力装置をチラつかせると
いう意味で、企業舎弟といっていい存在であることは十分に認識しているはずだ。
タイトルにあるように田中弁護士は、「闇社会の守護神」だった。五代目山口組の宅見勝若頭の顧問弁護士を引き受けた時から、反社会的勢力の側に行った。自家用ヘリコプターを購入できるほどの報酬は、「元特捜検事」の肩書を引っ下げて、自分たちの陣営に加わったことへの闇社会の側の法外な謝礼なのであり、「知らなかった」では済まされない。
検察というところは、「法」では裁けない分野に、秩序を維持する目的であえて踏み込む組織である。イトマン事件で問われたのは、許、伊藤寿永光両被告が、法を犯したかどうかではない。「闇社会」に接点のある二人に、住友銀行を侵食させてはならなかった。そのためにあらゆる法律を駆使した。
「国策捜査」の是非はともかく、検察で禄を食んでいた田中弁護士が、二人がなぜイトマン事件で狙われたのか、あるいは自分がなぜ石橋産業事件で逮捕されたかのかを、わからないわけがない。しかし、田中弁護士は、『反転』の中でも、その後の数あるインタビューの中でも、「逮捕など夢にも考えなかった」という。
それでは秩序の側にいた元特捜検事が事件を語る意味がない。罪の自覚や煩悶が、少なからずあっただろう。今にして思う後悔もあるはずだ。それを引き出さず、「無罪です」と語らせ、ヒーローにしてはならない。
ところが『文藝春秋』(11月号)は、立花隆氏をインタビュアーにして、ご意見拝聴に終始、恥じることがない。このマスコミの判断停止、「売れればいい」という意識での刑事被告人の起用は目に余る。
外務事務官の佐藤優氏を、全マスコミが起用していることにも同じ危うさを感じる。佐藤氏が異能であることは認めるものの、佐藤氏の姿勢におかしさがある。たとえば、佐藤氏は「反ロシア発言」を決してしない。その姿勢と合わせ、佐藤氏には国家秩序の側から排除すべき面があったのだろう。
それが「国策」で、鈴木宗男代議士とともに狙われる結果となった。ではその「危ない部分」とは何か。それを検証することなしに、刑事被告人を「識者」として使い続けていいのか。少なくともその自覚と慎重さは、マスコミにもインタビュアーとなる言論人にも求められるはずなのだ。

