亡くなった著名人に敬意を表して、悪口を書かないことはマスコミの常識である。功成り名を遂げた人には、それなりの過去がある。その過去を、反論できないのをいいことに、没後に蒸し返したり、新たに暴き立てたりすることはフェアではないし、気持ちのいいものでもない。だから、この常識は良識と言い換えてもよかろう。
ところが立花隆氏は、文藝春秋9月号で「“日共のドン”宮本顕治の闇」と題して、11ページにわたって「宮顕批判」を繰り返した。リードに「スパイ査問殺人の主役がなぜ絶対権力者になれたか」とあるように、立花氏が1976年1月号から2年がかりで進めた「日本共産党の研究」をもとにしている。
同書で立花氏は「共産党リンチ殺人事件」を暴いたのだが、今回の「闇」の研究では、「リンチ殺人事件」が事実であるとの確証のもと、宮本元議長を否定的に論じ、併せてその「宮顕」に牛耳られていた日本共産党の「民主集中制」の問題点を指摘、最後にこうまとめている。
「共産党に自由な言論が生まれる日とはどのような日か。(中略)宮本が死んだいまそのような日が早くやってくることを祈りたい。そうでないと共産党が消滅する日の方が早く来てしまうだろう」
たとえ「死者を鞭打つ」ことになっても、宮本元議長が共産党内で圧倒的な影響力を持ち、「公党」を支配してきたことは事実だから、その公人を「論評」することは許される。ただ、「研究」が行なわれたのは30年以上も前で、それは本人が言うように「詳細な裁判記録」をもとにしており、その「リンチ事件」の詳細が記録された段ボール数箱分の資料の中には、「あれを読めばもう疑問はなにもない」という調書類がギッシリなのだという。
立花隆ともあろうものが、と思うのは、捜査当局情報を丸飲みしていることである。しかも戦前・戦中は、治安維持法下で共産党が特高警察によって徹底的に弾圧された時代、取り調べ中の暴行による党員の獄死があり得た時代、「大本営発表」を含めて、情報は“お上”が一手に握っていた時代である。
そんな時の特高警察の「調書」に頼って、「リンチ殺人事件」をもう一度蒸し返す行為に、何か意味があるだろうか。もし、「宮顕の罪」を忘れてはならないというなら、そうした時代背景や「調書」の信頼性にまで言及すべきだが、それは皆無。逆に、持説の正しさを、元共産党本部所属党員の兵本達吉氏との過去の対談や兵本氏の著作をもとに、補強しようとしている。
だが、兵本氏がそれだけ頼りになる人物だろうか。
『文藝春秋』発売後、『しんぶん赤旗』は、「闇から出た亡霊 立花隆氏の新版“日共”批判をきる」と題して、反論を試みている。組織防衛のためには当然だろう。その中で兵本氏はこう切り捨てられた。
「ところが、この人物とは、証言能力のない点で札付きの人物なのです。誰かといえば、国会議員秘書でありながら、就職斡旋の依頼と称して、警備公安警察官と会食していたことがわかり、98年8月に日本共産党を除名された兵本達吉氏です」
これは相当に抑えた表記である。弊誌がつかんでいるだけでも、兵本氏の人間としての「悪評」は枚挙にいとまがない。
党員として党本部に定年まで務めて退職金をもらいながら、「第二の人生」は警備公安に相談、退職して数カ月後には、わずかな謝礼で右翼団体「日本青年社」の集会に参加、講演を行なっている。「カネのためにはなんでもやる人」という印象で、立花氏や『文春』編集部に代表される「反共産党勢力」の、望み通りのコメントを出して生き延びてきた人だった。
基本的に「書斎の人」である立花氏は、自分の“推論”や“憶測”を補強する人は遠慮なく使う。最近、立花氏を堀江貴文被告が名誉毀損で訴えた。「闇勢力との交遊」など、事実と反する堀江被告の話を、記事やブログで記述していたためで、その「ネタ元」は、「二階堂ドットコム」という過激と差別を“ウリ”にしているブログだった。
「闇勢力との交遊」の事実関係や是非を問題にしているわけではないし、「二階堂ドットコム」の信用性を問題にしているわけでもない。立花氏が間違っているのは、「書斎の人」として構築したストーリーを、補強するものだけを採用して構築するという姿勢である。これは「事実」を基本にすべきジャーナリストが、犯してはならない“罪”だ。
「田中角栄研究」も遠い過去になった今、立花氏は「書斎の人」として評論家に徹すべきではないか。過去の栄光にすがるジャーナリストもどきの活動は見苦しいし、晩節を汚しているというしかない。

