国家が持つ最大の暴力装置である軍隊を、どう制御するかに、世界の為政者は頭を悩ませてきた。軍隊が暴走、多くの国民を死に追いやり、国を焦土にしてしまった過去を持つ日本ではことにそうで、戦後の政権は、国民の「軍隊アレルギー」を、どう払拭するかに気を配ってきた。
しかし、国民の意識も変化する。
戦後60年以上が経過、軍隊を自衛隊と言い換え、憲法第9条をご都合で解釈するという、ごまかしを長く続けたことによる“歪み”を自覚、ようやく国民は軍隊の意義を認め、改憲による軍隊の存在の規定をタブーにしなくなった。
ただ、それには条件がある。
暴力装置である自衛隊は、民主主義の根幹である自由な言論を、いささかでも侵すようなことがあってはならず、そのために制服組は強力なシビリアンコントロールのもとで制御されなくてはならない。
戦前、国民の自由な思想信条を認めず、情報収集を行ない、「隣組」による密告制度で国民を統制したのは、憲兵だった。
忌わしい過去の存在ではあるが、権力は暴力装置(軍隊)の次に、情報の収集・操作のための組織が欲しくなってくる。それが権力の持つ怖さであり、軍隊にそんな機能を持たせてはならないというのは、タカ派とハト派の区別のない共通認識だった。
ところが、憲兵を想起させる組織の存在が、日本共産党の調べで明らかとなった。
弾圧を伴わないこの監視装置の名を、「陸上自衛隊情報保全隊」という。隠された存在ではないが、「イラク派兵反対集会」などのデモの参加者を洗い、その素性を把握のうえで、発言内容をチェック、以降の行動まで監視する。共産党の資料は、広範囲な「情報保全隊」の「スパイ活動」を物語っていた。
元自衛官の名前を記した記録には、集会名、日時、参加人数などとともに、その集会で誰が何を発言したかまで詳しく記されていた。そして、この元自衛官に関する記述には、「参加が認められたが、発言などは行なわなかった」とある。
集会の参加者が名札をぶら下げているわけではない。「情報保全隊」がマークしていたから、この人物を特定できたわけで、他の集会での行動も記録されていた。「要注意人物」として行動確認しているわけだ。
集会への自由な参加と活発に交わされる言論は、民主主義の大前提である。その原則を自衛隊は破っている。
また、こうした「スパイ活動」は、防衛庁の省への「格上げ」を認め、条文解釈による「日陰の存在」という、今の自衛隊の立場を改めさせ、条文化のうえで軍隊として認知しようという気になった国民に対する、明白な裏切り行為である。
本来、こうした活動は、国民感情を汲み取った政治家が制御すべきだろう。ところが、久間章生防衛相は制御どころか容認する。次の発言は、この政治家の歴史認識の欠如を物語っている。
「公開の場へ出かけていって、そういうこと(デモや集会)が行なわれたということを、事実として把握するだけ」
「集会で、例えばイラクに行っている自衛隊について賛成、反対それぞれあると思うが、そのと時ほかのことに触れた場合は、併せて記録してもおかしくない」
日本の憲法が、集会・結社の自由を認め、表現の自由を保障したのは、それがない時代の権力の暴走がいかに怖いかを、身をもって体験したからであり、それは「日本国憲法は米国の押しつけだ」といったレベルの話ではない。
情報の収集の次には監視がきて、最後には制御、弾圧へと向かうのが、権力の抱える暴力装置の“性”である。収集のレベルだから許されるという話ではなく、収集という行為自体に問題があることを、久間防衛相は理解しておらず、久間氏を防衛相に任命した安倍晋三首相を筆頭とする現政権が、「国民監視」を容認、その認識のまま改憲を進めようとしているのだから恐い。
さらに言えば、この問題を『読売新聞』『産経新聞』のように、ほとんど取り上げないメディアや、狭量にも共産党の「党利党略」とみなしてこの問題に敏感に反応しない民主党などの野党は、権力の監視装置としての役割を放棄しているというしかない。

