社会学者の加籐秀俊氏が、『産経新聞』(4月21日号)の「正論」で、秀逸なオピニオンを展開している。タイトルは「テレビ番組の『スポンサー責任』を問う」——。
最近のテレビといえば、稚拙なお笑い芸人の仲間内のバカ騒ぎや、温泉に入ってただ料理を食べるだけの旅番組ばかりが並んでいる印象で、報道番組はあってもショー化され、行き着くところが「あるある大辞典」の「やらせ」や「捏造」ばかりだから、良識ある“大人”は、加藤氏の主張に諸手をあげて賛成するだろう。
スポンサーが「パトロン」となって芸術家を育て、文化を育んだ古今東西の例をひきながら、加藤氏は次のように書く。
「だが、その『スポンサー』諸氏にはたして『パトロン』としての矜持があるのかどうか、わたしは疑わしく思っている。薬品、化粧品、家電、自動車、光学機械…世界的に有名で巨大な売り上げを誇る大企業は日本に数限りなくあるものの、それら大会社の『提供』なさる放送文化のなんと劣悪なことよ」
加藤氏の主張の斬新さは、番組の低俗性や捏造などを生む構造的体質を、視聴率第一主義の放送局と、安く制作費をあげて効率良く稼ぎたい下請けの制作会社だけのせいにするのではなく、そこから一歩踏み込んで、「スポンサー責任」として問うていることだ。
もちろん加藤氏は、局と制作会社の責任をまず指摘したうえで、こう続ける。
「その背後にあってそのインチキを、『提供』した企業が無関係、というのはおかしい、とわたしはおもう。インチキを『提供』するのもまたインチキである」
ここで加藤氏は、スポンサー企業に「パトロン」としての矜持を持てといっているのだが、テレビ番組のスポンサーという意識もなく、「電博」と呼ばれる電通と博報堂に広告を“丸投げ”し、ゴールデンタイムなどの「枠取り」にしか興味にない担当の宣伝部長らにとって、放送内容はどうでもいいものなのだろう。
だが、ラジオ広告に次いで雑誌広告も抜き去ったインターネット広告は、明らかに広告業界を変える。今や月に4億人もの人間が利用するグーグルを始めとした検索エンジン。「検索キーワード」に打ち込まれた個人の関心事は、そのまま「検索連動広告」につながり、スポンサーは検索者のワンクリックで自らのサイトにユーザーを誘える。
スポンサーにとって、この「検索連動広告」ほど広告効果を数値化できるものはない。利用者が広告へのリンクをクリックした瞬間に課金されるシステム。イメージを優先した広告は、ビジネスツールへと姿を変えた。
テレビに限れば、広告を仕切るのは圧倒的に電通と博報堂である。公正取引委員会が、新規参入を阻み、少ない番組枠を支配することで広告主を取り込む「電博」の商法に、独占禁止法の疑いがあるとして昨年、警告を発したほどだ。
しかし、支配力を利用した「電博」の価格設定に、なにか根拠があるわけではない。もちろん番組の視聴率に広告費は連動するが、たくさんの人が見ていることと、広告効果は別である。ネット広告に持ち込まれた「効果の数値化」は、代理店任せだったスポンサーの意識を変えることになろう。
テレビCMもデジタル化によって、やがて双方向となり、「連動広告」の世界に突入する。その際、下劣で意味のない番組のスポンサーとなっていることは、むしろ企業イメージを低下させ、広告効果を半減させる。そうなって始めて、スポンサーは代理店任せの“愚”を悟るだろう。
加藤氏は、そこに行き着く前の次善の策として以下を提案する。
「『スポンサー責任』というものを、ここらで真剣にかんがえるのが当然であろう。さしあたり放送番組表に番組名、出演者とならべてスポンサー名をかかげてみたらいかがであろうか」
なるほど効果はありそうだ。見るに耐えないくだらない番組名の横に提供企業名——恥ずかしくなって逃げ出す企業が続出、多少はテレビ番組の浄化にもつながりそうだ。

